「支配の歴史」を歩く
その裏にある1893年の真実と屈辱の記憶。
🎥 今回の参考動画はこちら ▼
かつての栄光と分裂、そして支配の始まり
サバイディー!ラオスキです。皆さんはラオスの首都ビエンチャンを歩いたことはありますか?どこかヨーロッパの香り漂う美しい街並みですが、実はその背景には複雑な歴史が隠されているんです。
動画でも語られている通り、ラオスにはかつて「ラーンサーン王国(1353年〜1707年)」という強大な統一王朝が存在しました。その期間は約354年。しかし、王位継承争いからルアンパバーン、ビエンチャン、チャンパーサックの3国に分裂し、その弱体化が他国の介入を許すことになります。
1893年、運命の「砲艦外交」
ラオスの現代史を語る上で避けて通れないのが「1893年」という年号です。この年、フランスの軍艦がチャオプラヤー川へ侵入し、当時のシャム(タイ)に対して圧力をかけました。いわゆる「砲艦外交」です。
その結果、メコン川東岸(現在のラオス)はフランスの保護国となり、インドシナ連邦の一部として組み込まれることになりました。動画内で「歴史が新しく始まった日」と表現されているのは、まさにこの瞬間を指しています。
ビエンチャンに残るフランスの爪痕
フランス統治時代の影響は、今もビエンチャンの至る所に色濃く残っています。観光客には「おしゃれなレトロ建築」として人気ですが、その正体を知ると見え方が変わってくるはずです。
1. 国立図書館(旧知事公邸)
現在、国立図書館として使われている白亜のコロニアル建築は、もともとはフランス植民地政府の知事公邸でした。Nam Phou(ナンプ)広場の近くにあり、当時の行政の中心地だった場所です。
2. パトゥーサイ(勝利の門)
ビエンチャンのシンボルである「パトゥーサイ」。これはパリの凱旋門を模して作られており、正面に伸びるラーンサーン通りは、まるでシャンゼリゼ通りのようです。
皮肉なことに、この門はフランスからの独立を記念して建てられましたが、デザインのインスピレーションはかつての宗主国から得ています。※現在の入場料は30,000 LAK(約210 JPY)ほどで、上から市内を一望できます。
パトゥーサイの場所はこちら
3. リセ・ビエンチャン(現・ビエンチャン高校)
動画で「リセ(Lycée)」と呼ばれていたのは、現在のビエンチャン高校です。かつてのフランスのエリート教育機関であり、ここにも植民地時代の教育システムの名残があります。
撤去された「屈辱の像」オーギュスト・パヴィ
そして、動画の後半で最も衝撃的なのが「オーギュスト・パヴィ」の銅像に関する話です。彼はフランスによるラオス植民地化を推進した探検家・外交官です。
かつてビエンチャンには、このパヴィの銅像が立っていました。しかし、ただの立像ではありません。その足元には、花や供物を捧げてひざまずくラオス人の男女の姿が彫刻されていたのです。
これは「文明的なフランス人」と「それに傅く現地人」という、明確な支配関係と人種的ヒエラルキーを象徴するものでした。ラオスの人々にとって、それは美談ではなく、消し去りたい屈辱の記憶だったのかもしれません。
歴史を知れば、旅はもっと深くなる
現在、その像は撤去され、フランス大使館の敷地内など人目に付かない場所に移されたと言われています。
美しいカフェやバゲットサンド(カオチー)を楽しみながらも、ふと見上げる古い洋館にどのような歴史が刻まれているのか。それを知ることで、ラオスという国の本当の姿が少しだけ見えてくる気がします。
この記事の自動化技術、あなたも習得しませんか?
ラオスの秘境からでも収益を生み出す「生存技術」。あなたの目的に合わせて2つのアカデミーが選べます。