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【徹底解説】ラオス史における「日本」の役割:王国時代から現代までの変遷

2025年1月10日

はじめに:ラオス史における「日本」の役割

第二次世界大戦期、東南アジアの一国であるラオスは、未曽有の激動の時代を迎えました。その中で、「日本」はラオス史に深く関わる存在として登場します。本記事では、ラオス史における「日本」の役割を、ラオス王国時代とラオス人民民主共和国時代の歴史的視点、そしてラオスの人々の記憶という多角的な視点から考察します。「日本」との関わりは、ラオスの独立運動、社会主義国家建設、そして人々の生活にどのような影響を与えたのでしょうか。歴史資料と人々の証言を紐解きながら、「日本」がラオス史に刻んだ足跡を辿っていきます。

ラオス王国時代の「日本」の描かれ方

ラオス史において、第二次世界大戦期の「日本」は複雑な描かれ方をしています。ここでは、ラオス王国時代に記された歴史書から、当時の「日本」がどのように語られていたのかを見ていきましょう。

マハー・シラー・ウィーラウォン『ラオス史』:国家が認めた歴史

マハー・シラー・ウィーラウォンによって著された『ラオス史』は、ラオス王国時代に国家が公認した歴史書です。この本では、1941年のタイ・仏印国境紛争の調停役として「日本」が初めて登場します。しかし、北部・南部仏印進駐については言及されておらず、1945年3月の仏印クーデター以降、フランスに代わって「日本」がラオスを占領したと記されているのみです。

『1945年10月12日の歴史』:ラオ・イサラと日本の影

『1945年10月12日の歴史』は、ラオ・イサラ政府樹立の歴史を述べたもので、「日本」に関する記述は限定的です。しかし、反日組織としてのラオ・イサラの設立が、自由タイなどの影響を受けたものであり、ラオスにおける「日本」支配への直接的な抵抗ではなかったことが示されています。

『ペッサラート副王』:日本軍によるビエンチャン占領

『ペッサラート副王』では、1945年3月の「日本」による仏印クーデター以降に「日本」軍がラオスを占領したとされています。また、「日本」によって与えられた独立は、あくまで「日本」の支配下での独立であり、フランス支配と同様であったことが示されています。

『ウンケーオ副王一族の歴史』:日本軍とルアンパバーン王国

『ウンケーオ副王一族の歴史』では、ペッサラートの主導によって、戦闘なく「日本」軍がルアンパバーンに入ってきたことと、「日本」によるルアンパバーン王国の独立について述べられています。ここでも、独立は「日本」の支配下でのものであったことが示唆されています。

ラオス人民民主共和国時代の「日本」の語り

1975年のラオス人民民主共和国の成立は、ラオス史における「日本」の語りを大きく変えました。ここでは、社会主義国家建設期の歴史教科書と、国家公認の歴史書である『ラオス史』における「日本」の描かれ方を見ていきます。

社会主義国家建設と歴史教科書:ファシスト日本

1970年代後半から1980年代に出版されたと考えられる歴史教科書では、「日本」は「ファシスト日本」と表現され、第二次世界大戦における「日本」の降伏に関しては、ソ連赤軍の働きが強調されています。また、ラオス人民の闘争が登場し、社会主義建設を目指した時代の歴史観が反映されています。

『ラオス史 第3巻』:二重のくびきと人民の闘争

1989年に出版された『ラオス史 第3巻』では、仏印進駐以降のラオスをフランスと「日本」の二重のくびきの下に置かれた時代と位置づけ、「日本」による支配を1940年以降としています。「日本」はファシスト、軍国主義であり、その時代は抑圧、搾取の時代で、ラオス人民は困難を強いられたとされています。

『ラオス史 古代から現在』:国家が語る歴史の決定版

2000年に出版された『ラオス史 古代から現在』は、現在のラオスにおいて、国家が語る国民国家の歴史の決定版です。「日本」に関する記述は『ラオス史 第3巻』と同様であり、「日本」はファシストで軍国主義であり、仏印進駐以降、ラオスはフランスと「日本」の二重のくびきの下に置かれ、ラオス人民にとっては搾取・抑圧の時代であったとされています。

ラオスの人々の記憶に残る日本軍

ここでは、ラオスの人々の記憶の中に、「日本」軍がどのように刻まれているのかを見ていきます。

シェンクワーン県の人々の記憶:日本軍の影

シェンクワーン県の人々は、「日本」軍について、「フランスを追い出し、日本の支配を確立した」と語ります。しかし、その記憶は断片的であり、「日本」軍が駐屯していた場所や、薬に使用した草などについての記憶はあるものの、「日本」軍が短期間で去っていったことも記憶されています。

ボリカムサイ県の人々の記憶:道路建設と日本軍

ボリカムサイ県の人々は、「日本」軍が道路建設を行ったことを記憶しています。「日本」軍が行ったり来たりしていたのを見たという証言や、「日本」兵がフランス兵を追い出し、負けると出て行ったという証言があります。

ルアンパバーン県の人々の記憶:フランスとの関係

ルアンパバーン県の人々は、「日本」兵がフランス兵を追い払ったことを記憶しています。これらの証言から、「日本」軍はフランスを追い払った存在として、人々の記憶に刻まれていることがわかります。

プーミー・ウォンウィチットの回想:革命家の見た日本軍

ラオス革命の指導者であるプーミー・ウォンウィチットは、自伝の中で「日本」軍との関わりについて述べています。「日本」軍への協力は、恐怖感と不安が交錯した複雑な気持ちであったと回想しています。

マハー・シラー・ウィーラウォンの語る日本:歴史家の視点

マハー・シラー・ウィーラウォンは、「日本」がラオスを占領した期間は短く、「日本」はラオスに対する政策を打ち出すことができなかったと述べています。

まとめ:ラオス史における「日本」の多面性と今後の研究

ラオス史における「日本」の描かれ方は、時代や立場によって大きく異なります。王国時代には、1945年3月の仏印クーデター以降、短期間「日本」がラオスを支配したという認識が一般的でした。しかし、人民民主共和国時代になると、「日本」による支配は1940年から始まり、搾取と抑圧によりラオス人民が苦しめられた時代として語られるようになりました。

一方で、ラオスの人々の記憶の中には、国民国家の歴史とは異なる「日本」の姿が刻まれています。これらの記憶は、「日本」軍がフランスを追い払った存在として、人々の生活に影響を与えたことを示しています。

今後、より多様な視点からラオス史における「日本」を捉え直すことが重要です。国民国家の歴史から漏れてしまうような事象を拾い集め、実証的で多面的なラオス史を描くことが求められています。そして、ラオスにおいて、「日本」が支配した一時期があったと認識されていることを忘れずに、今後の研究を進めていく必要があるでしょう。


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